乙巳の変の実行の舞台は偽の三韓進調の場であったとされていますが、入鹿ほどの権力者を抜きにそうした場を設定できるものでしょうか。

私もそう思います。崇峻暗殺のときと同様、これは『書紀』の演出である可能性がありますね。中大兄と鎌足の出会いの場は、大王への服属儀礼が実施された飛鳥寺西の斎槻の下でしたし、三韓進調も同一の意味を持った儀式です。あえて服属や忠誠を意味する舞台を用意し、そこで蘇我氏が誅殺されることで、その〈逆臣性〉を強調しようとしたものでしょう。