那須国造碑は、授業で紹介しなかった後半の韋提の生涯を綴った部分は、対句調の四六駢儷体で書かれています。すなわち漢文の美文調で、唐太宗の「金鏡」、高宗の「大唐三蔵聖教序記」から字句を撰んでいることが判明しています。中国文化に準拠することで自らを卓越化しており、中国年号の使用もその関連で考えるべきものと思います。上下侍塚古墳との関係は一概にはいえませんが、恐らく両前方後円墳は、後に那須国造に任命されてゆく古代豪族のものとみてよいのでしょう。最新の研究成果については、真保昌弘『侍塚古墳と那須国造碑―下野の前方後方墳と古代石碑―』(同成社、2007年)を参照してください。