佐々木喜善や柳田国男は、オシラサマ起源譚の原型が『捜神記』にあると知らなかったのでしょうか。

少なくとも、柳田国男は意識していたはずです。しかし、文献的な典拠よりも、遠野地域で神話が「生きて」いることに関心を持ったのでしょう。なお、柳田が喜善の話を意図的に改変した遠野の山男譚は、日本の先住民族が山の民となって生息しているという彼の学説の根拠となりますが、その原型も『捜神記』にみえます。それは、南北朝時代に江南へ移住した漢民族が、現在の少数民族に当たるような人々を一種の妖怪と捉えた物語ですが、平地民の視線、山人の視線を意識した柳田にも、そうした考え方が自覚されていたのかもしれません。