『日本書紀』の歴史資料としての信憑性は、どの程度のものなのでしょうか。 / 『日本書紀』のなかには、「大化改新」のように疑わしい記述が他にもあるのでしょうか。

いわゆる「史実」が書かれていない文献には史料的価値がない、とするのは、形骸化した実証史学の悪しき考え方です。その時代に生み出されたものである以上、例えば「偽書」と呼ばれるものであっても、その史料にしか証明できない過去の事実を提供してくれます。その意味で『日本書紀』は、極めて史料的価値の高いものです。もちろん、書かれている内容がそのままの事実なのかどうかは、前後の文脈(巻によって編纂された時期、編纂担当者も異なりますので、比較を通じて判明することがたくさんあります)や中国・朝鮮の史料、考古学資料等々を付き合わせて検討する必要がありますが、8世紀の律令国家がなぜ『書紀』を編纂したのか、『書紀』を通じて何を喧伝しようとしているのかを考えますと、政治史上の様々な論点が浮かび上がってきます。またそのひとつひとつの文章からは、使用されている文献、参照されている漢籍・仏典などから、当時の文化水準、中国や朝鮮文化の摂取のあり方、歴史叙述のあり方をはじめ豊かな情報が得られます。なお『書紀』の記述において、「大化改新」のように史実として教えられていながら、虚構である可能性の高いものには、蘇我氏物部氏が仏教伝来をめぐって戦争をしたという崇仏論争記事があります。内容のほとんどは、初唐に成立した仏典類書『法苑珠林』などから幾つかのエピソードを引き写し、登場人物を変えてひとつの物語にまとめたものにすぎません。