「大化改新はなかった」との話も聞いたことがあるのですが、実際のところどうなのでしょうか?

乙巳の変のクーデターを契機とする中央集権化の改革がどこまで実現されたのかは、用語の点も含めて『書紀』に改竄があるようです。しかし、この時期に一種の政治改革が行われ、王権と一体化していた蘇我本宗家が排除されたことは、同時期に高句麗百済新羅でも類似の政変が起きていること、前後の歴史過程に照らしてみても間違いありません。この出来事は、その後奈良・平安王朝、そして藤原氏のなかでは中世、芸能文化のなかでは近世に至るまで、古代国家誕生の神話(一種の建国神話)としてインパクトを持ち続けます。まったくの創作であれば、それほどの求心力は発揮できないものと思います。