応天門の変は、伴善男が企んだものとして処罰されましたが、真犯人は本当に彼なのでしょうか。
確かに事件の結果、伝統的有力豪族の伴氏と紀氏が没落し、左大臣の源信は精神的な打撃により出仕しなくなり(後に落馬して死亡)、右大臣藤原良相も翌年には病死、太政大臣藤原良房の「ひとり勝ち」的な様相を呈しました。院政期に後白河法皇のサロンで作成されたらしい『伴大納言絵巻』は、応天門の変の顛末をほぼ『宇治拾遺物語』に沿って描き出してゆきますが、良房を真の黒幕とする仕掛けを随所に施してあるようです(例えば、最後に検非違使に連行されてゆく牛車のなかの人物。顔は隠されているものの文脈上伴善男であることは明らかだが、衣の紋様が藤原良房のそれと同一に描かれているなど)。恐らく同時代においても、良房を怪しいとみる視線は存在したのでしょうね。