服属儀礼の場において、"水"が効果的な役割をしている点が興味深かったです。須弥山石の噴水は、斎槻が水を通す樹木であるのと同じように、水を通したいという意図でしょうか。川上から流れてくる神を引き入れるのだ、と考えてもよい気もしますが。 / 水をめぐる観念や儀礼も、仏教と同じく大陸から伝わってきたものなのですか。 / 水を清浄で神聖なものと扱っているのは、日本独特の文化なのでしょうか。

日本列島では、山地と海岸が近接しているせいか、中国などに比べて川を流れる水が清冽であり、それゆえに水への信仰が強かったという面はあります。ただし、水を崇めるのは日本だけかというとそうではなく、やはり万物の生命の根源として、世界中で信仰されているとみていいでしょう。ヨーロッパでも、ルルドの泉等々、聖母の出現した池泉が巡礼地となっていますが、これは古ヨーロッパ的な水の女神が形を変えたものと考えられます。アジアでは川の根源である湧水点の祭祀が盛んで、中国ではそれが道教の「洞天信仰」として体系化され、同様の発想は日本へも及んで神社の原型を構築しました。湧水点を整備して祭場に形成した遺跡は古墳時代に出現しますが、それが歴史時代の神社に直結している例は幾つも確認できます。飛鳥寺西の広場や近接する石神遺跡、酒船石遺跡にみられる導水施設の仕組みは、上記の湧水点祭祀の祭場に酷似しています。よって須弥山石は、表面的には仏教的に整えられているとはいえ、内実は古墳時代以降の水の祭祀を受け継ぐものといえるでしょう。なお、「水を通す」という意味で斎槻と須弥山が共通する、という指摘は卓見ですね。