樹木は神聖視されたということですが、寺院などに使う材木は神聖な木なのでしょうか。仏像なども含め、もし神聖な樹木を使用しているとしたら、神を傷つけることにはならないのですか?

重要な指摘ですね。実は、ぼくが専門的に研究してきたテーマがこれです。確かに現代的な感覚からすると、神の宿る樹木を伐ってしまうのは悪いこと、それこそ罰が当たる行為のように思われます。事実、前近代では「樹木が伐採に抵抗し、伐ろうとするものが突如病に罹ったり、事故にあったり、頓死したりする」という伝説が多く語られていました。しかし前近代の人々は、逆に、そのように強力な力を持った樹木で建物を建てれば、あるいは船を造れば、それは極めて頑丈で性能のよいものになると考えたのです。そこで、樹木に宿っている精霊=木霊を怒らせずに伐採を行い、彼らをこれから建てる邸宅、組み上げる船の守護神にする祭儀を開発してゆきました。それが「木鎮め」と呼ばれるもので、木を伐る山のなかに入ることを山の神に許可してもらう山口祭儀、実際に伐る木の前で木霊や山の神を祀る木本祭儀、その木を使って建築物を作り上げる際に節目節目で行う建築祭儀に類別できます。建築祭儀に含まれる地鎮祭、棟上げ、餅撒きなどは現在でも多く行われています。伊勢神宮諏訪大社などの大きな神社、とくに式年遷宮といって、一定の期間ごとにすべての社殿を建て替えている神社では、上記の木鎮めを網羅的に斎行しています。なお、仏像でも神木を使ったものがみられますが、これは神仏習合の結果と考えられます。