服属儀礼の場で王殺しが行われたとき、その場所は引き続き同じ用途で使われたのでしょうか。現代の感覚では、殺人現場は近寄りがたいもののように思われますが…。

アニミズム的世界観では、生命の実体は身体に宿る精霊でした。例えば、アニミズム的な動物の送り儀礼の典型ともいえるアイヌイオマンテでは、一体の熊を解体し、血・肉・皮・骨を村民で分け合います。現代的視点でみれば獣を殺しているわけですが、アイヌの認識においては、その生命=精霊自体は祭祀を介して故郷の異界へ送り返しているので、「殺した」ことにはなっていないのです。例えば、人間の衣服を脱がせたようなものに過ぎません。これと同じように「王殺し」も、現代的な意味で王を殺しているわけではないのです。その本体=精霊は、後継者に受け継がれているので、残酷というより申請な祭儀であるといえるのです。