初尾貢上の儀礼について、平安時代以降は殺生禁断や血への穢れ観が強くなってゆきますが、それでも四足獣が天皇へ献上されたのですか。

干し肉という形での肉食はかなり長期にわたって続けられてゆきますが、以前のように鹿が献上されたり、猪が献上されたりということは少なくなってゆきます。もっとも最後まで残るのは鳥で、とくに征夷大将軍武家政権)から天皇に献上される雉は重要な意味を持っていました。戦国時代には、これが鶴に姿を変えてゆきますが、これは稲作文化の浸透と関わりがあると思われます。鶴は穂落とし神とも呼ばれ、稲作の豊穣を保証する稲魂を運んで来る存在と考えられていたためです。渡り鳥であることと、白色であることが、そうした考え方を生んだのでしょう。