他国の歴史書から引用を行うことには、どのような意味があったのでしょうか。 / 乙巳の変の物語ですが、中国の話などをいろいろ知っていたはずの当時の知識人は、この話がパクリだということに気付かなかったのでしょうか。 / 真似ばかりの書物で、権威付けが可能だったのでしょうか。

これは、奈良期、平安期にも続いてゆくことですが、漢籍の表現や逸話をいかに盛り込んで文章を作るかということが、漢文文化の教養と成熟を表す指標だったのです。中国では、歴史が政治運営における国家的倫理となっていましたので、歴史上の人物の言動や国家興亡の逸話が、そのまま政治の方向を決定づける、あるいは政治を正当化する材料になっていました。日本もそれを模倣するわけですが、とくに『書紀』の場合には、中国と同様の出来事が日本でもあったこと、日本は中国と同じ歴史を歩んできたことを示す、という編纂方針が強かったようです。ゆえに、あえて中国史の有名なエピソードを想起させるような事例を盛り込み、また類似の文章・表現を駆使したと考えられます。