飛鳥寺と法興寺ですが、当時はどちらが一般的に使用されていたのでしょう?

飛鳥寺は地名に因む名称、法興寺は寺の属性に関わる名称で、『書紀』では同じくらいの頻度で用いられています。土地と関わって呼称される場合には前者、寺自体の意味付けに関わる場合には後者、ということになるかもしれませんが、どこまで厳密に使い分けをされていたかは分かりません。なお、同寺は平城京に移転すると「元興寺」と名前を変えますが、これは法興寺に基づく名称。やはり飛鳥を離れると、「仏法の日本における起点」としての意味付けが強固になるといえるでしょうか。