天皇の継承順については、やがて父子相続が一般化してゆくようですが、男子に限定されてゆくのはなぜなのでしょう。女性天皇もいたはずですが、なぜだめになったのでしょうか。

女帝問題は難しいのですが、皇位は家父長制的な嫡系継承を理想とするようになってゆきます。奈良時代には、皇位継承の法則として「天智天皇が定めた『改むまじき常の典』」が持ち出されますが、これは中国的な父子継承のことを意味するのかも分かりません。一方、適切な男性の皇位継承者がいない場合、前天皇(大王)の皇后(大妃)だった女性が政権を握る、あるいは幼少の後継者の後見人となる形で、皇位に就くことは何度かありました。これは、王統が混乱し内紛等の危機的情況が生じるのを回避するためであったと考えられますが、7〜8世紀は結果的に、女帝の治世下に重要な政治的決定がなされています。蘇我馬子厩戸王が政治をみた推古朝しかり、乙巳の変が起きた皇極朝、飛鳥が都市として整備された斉明朝、律令体制が発足し藤原京へ遷都した持統朝、平城遷都のなされた元明朝しかりです。これは、奈良時代の大きな特徴といえるでしょう。現天皇制における皇位継承は、『皇室典範』に基づき皇族男性に限定されています。これには、家父長制的価値観のもとで父系が重視されていることとのほか、女性にも皇位継承権を認めると女性宮家を多数創出せざるをえなくなり、財政が圧迫されるなど経済的な理由も存在します。