在地の芸能が服属儀礼として捧げられるのは興味深いと思いましたが、逆に、服属を強いられた自国・地域のアイデンティティーを芸能に込める、伝え続けるということは行われなかったのでしょうか。

重要な着眼です。しかしむしろ、郷土のアイデンティティーがそのなかに表現されているからこそ、それを王の観覧に供することが服属儀礼になるわけです。しかし『日本書紀』神代下/第十段一書第四には、隼人の祖先ともいう火酢芹命(海幸)が、弟の火折尊の風招によって溺れさせられ、弟に服従してその俳優となり、自らの溺れ苦しむ様子を芸能にしてみせるという場面があります。これが隼人の風俗歌舞になっているのだとすれば、ヤマト王権に押し付けられたものに相違ありません(あるいは動作はそのままで、意味づけを変えられているということかも分かりません)。芸能のなかには、権力によってねじ曲げられているものもある、ということでしょう。