楽府は外交使節の迎接の際に必要だったとのことですが、その場合、軍事的色彩の濃い在来系の群舞が行われたのでしょうか。私が使節側だったら、武器を持たれていると怖ろしいうえ、戦意を高めるような歌を歌われても謎に思うと考えます。

そうですね、武器といっても儀式で用いる儀仗ですので、危険はありません。また(舞台となる空間の大きさにもよりますが)、いつでも襲撃できるような直近にて観覧するわけでもないと思いますので、その点では問題はなかったでしょう。なお、使節に王権成立の物語を歌舞としてみせる、ということには、やはり中華思想的な意味があります。史書と同じく、王権の正統性・正当性を喧伝する機能があるわけです。それを外国使節が喜んでみたかどうかは分かりませんが、当時の東アジア世界における使節迎接の場の、スタンダードは外していないのではないかと思われます。