「樹下の芸能」について。平安時代の蹴鞠も4本の木の本で行ったとのことですが、蹴鞠も奉納するような芸能だったのでしょうか。

いわゆる「遊び」は祭祀から分離したものだと考えられています。現在に伝わる子供の遊びのなかに、卜占や呪術の名残があるのもそのためです。例えば柳田国男など、かごめかごめや目隠し鬼などについて、本来は神意を知るための方法だったものを、子供の文化のなかで真似て遊びにしたのだと指摘しています(「郷土生活の研究法」)。さらに双六のサイなどは、数字を導き出す易的卜占の転化ですし、囲碁などは、陰陽道の宇宙観と密接に関わっています。蹴鞠についても、勝敗を決する背景に神意の存在を読み取ることが可能でしょう。蹴鞠の場に用いられる4本の木はそれぞれ柳・桜・松・鶏冠木で、いずれも神霊の宿るものとして神聖視されていた樹木です。この施設を「懸(かかり)」と呼ぶのも、何やら意味深です。