「一切衆生悉有仏性」の「一切衆生」は、すべての生きとし生けるものを指すわけではないとのことでしたが、どういうことでしょうか。

仏教では、万物を有情/無情に分ける把握の仕方があります。前者は心あるもので生命を指し、後者は心のないもので無生物を指します。衆生は前者のみを言い換えた表現ですが、初期の仏教は、草木を無情の方に分類していたのです。これは、殺生戒の遵守を通じて菜食主義になっていた仏教集団、それらを支える在家の信仰集団が、植物を食物とする際に不必要な葛藤や後ろめたさを抱かないよう、「無生物」と定義したものだろうとみられています。しかし、古代のインドにおいては、現代と同じく、普通に草木を生命と考えていました。ただしその発想はアニミズム的で、草木に宿る精霊を生命と捉えていただけであり、草木それ自体は単なる精霊の「容れ物」という認識だったのかもしれません。