アニミズムの考えなど、人間は神話を中心として生きていたことを知りました。雌山羊を殺さない理由でさえ、論理的に語るのではなく、神話を用いたのはなぜなのでしょうか。

「神話を用いたのはなぜか」という考え方自体が、実は、近代の論理的思考に大きく影響されているんですね。民族社会・前近代社会においては、神話が道徳・倫理・法律など、さまざまな役割を果たしていたのです。それは、我々が普通に用いる「論理」とは、また違った形の「論理」なのです。我々が神話の論理を「不自然だ」と思うのと同様に、神話の論理を生きている人たちからみると、我々の方が「不自然だ」ということになるのです。以前お話ししたように、狩猟採集民からみると農耕が「残酷」に映るのと同様です。