無痛文明論について関心を持ちました。確かに最近、人間はぬくぬくとしすぎかもしれません。しかし、そうだというなら、どのくらいまで文明を戻せばいいのでしょうか。 / 大事なことは、自然界が人間のみで成り立っているのではないと、常に考え続けることだと思う。そのために、極端だが、熊送りのような祭儀を復活させてもいいかもしれない。実際にそのような文化を保持している地方が、まだ日本列島にもあるのだろうか?

文明をある時点まで戻す、という発想は、残念ながら現実的ではないでしょうね。現在の原発に対する反応をみても、人間は進んだ先から引き返すことがなかなかできない、豊かさや快適さを手放すことができない生物であるようです(まあ、生き物とはそうしたものかもしれませんが)。しかも、その基準は、際限なく高まるばかり。破滅を食い止めるためには、動物の主神話のように、「抑制」機能のある言説を何らかの形で発信し続けるしかないでしょう。警鐘を鳴らしてパワーバランスをとってゆくこと、これが当たり前の状態なのだという考えを常に揺るがしてゆくことが必要です。なお、下でも触れますが、送りの祭儀は日本全国に残っています。その現代的意味をあらためて考える必要はあるでしょう。