神聖だと思う熊の毛皮を剥いだり、熊胆を服用したりすることを不思議に思います。神聖なものに手を加えることを、昔の人は恐れなかったのでしょうか?

これは以前にも回答しましたが(性愛と食との関係についても言及しました)、前近代社会、民族社会では、神聖なものほど食の対象になりうるのです。その生物の能力を認め、それを自らのなかへ吸収したいと考えるからです。首狩りやカニバリズムの根底にも、そのような心性が作用しているものと思われます。キリスト教の聖体拝領についても、同様の視点から分析することが可能です。