心性史における「事実」とは何を指すのか分かりません。恐怖、感動などは幾ら調査をしたところで、多数派を「事実」として認めることにしかならないのではないでしょうか。

確かに、もともと心性史で扱っていた心の動きなどは「集合的なもの」なので、「一般的」なものの考え方、「普通」のものの考え方が重視されてきました。それはとりもなおさず、それまでの歴史・歴史学が、「特別」な人たち、「特別」なものの考え方だけを対象にしてきたからです。いうなれば心性史は、支配者中心の歴史へのアンチ・テーゼであったわけです。しかしこの質問のように、1980年代頃から、ポストモダン的な風潮を受けて、感性や心性でも、もっとも個々の多様性、差異を重視する方向性が見出されてきました。現在は全体/個どちらにも偏ることなく、両者の関係性をしっかりと把握し、そうして始めて分かる個の特徴を、捨象することなく把握しようという流れに変わってきています。