桃源郷など、中国の思想が、昔話などを通して民衆にも浸透していたことが分かりましたが、民衆の間には、「これは中国の思想だ」という自覚がどの程度あったのか、時代によって違いや変化はあるのか気になりました。
そうですね。日本の文化は、東シナ海を挟んで朝鮮半島や中国大陸のさまざまな文化と繋がり、渾然一体となっています。その多くは、一般の生活者にとって、「中国由来」とは自覚されていなかったでしょう。桃や神仙の文化にしても、遙か古墳時代から列島へ入ってきており、前方後円墳や三角縁神獣鏡の類は神仙思想に基づいて造られ、ヤマト王権の故地纒向では桃核が大量に出土していて、何らかの祭儀に用いられた可能性も指摘されています。もはや、列島の文化だと考えられていたといってもいいでしょう。しかし、平安時代の「唐物」のように、中国由来であることがそのもの価値を高める、それを持っていることがステイタス・シンボルになるという場合は、中国由来であることが強烈に意識されます。また中世以降、禅僧の活躍によって中国文化が広く武家、町人の知識人層に紹介され、印刷技術の発展により漢籍が普及するようになると、中国の思想家の言葉や種々の物語が一般にも語られてゆきます。昔話や民話の世界でも、例えば浦島太郎の竜宮城に代表されるように、一種のユートピア的他界が中国的表象としてイメージされたりします。その意味で中国は、前近代の人々にとって、ずっと夢物語の世界であり続けたのかもしれません。