緑が少なかったとはいえ、日本には八百万の神々がいて、小さな山や森にも信仰があったと思います。個人的には、鬱蒼とした山の方が信仰は多そうだと思うのですが、そのような里山の時には自然への信仰はあったのでしょうか?

いわゆる八百万の神、森羅万象に神性を見出すアニミズム的な思考は、日本の共生文化の特徴のひとつだと考えられています。それは一面では正しいのですが、一面では間違っているといえるでしょう。なぜならアニミズム的思考は、必ずしも、現在の我々が認識しているような意味でエコロジカルなものではないからです。現在の日本は自然と直接に関わる第一次産業への従事者が減少し、この講義を聞いている学生さんはもちろん、そのご家庭もいわゆる都市生活者、サラリーマン家庭が多くなっています。そうした人々にとって、衣食住に必要な物資はスーパーやデパート、専門の小売店から購入するものですが、前近代においてはそうはゆきません。狩猟採集社会においては、自ら動物を狩り、殺して解体し、その肉を食べます。農業の場合も、樹木を伐り払って耕地を開拓し、作物を食い荒らす虫や獣を殺し、追い払って育ててゆきます。すなわち、人間が自然のなかで生きてゆくこととは、必ず他の動植物を殺生することと結びついている、そうしたなかでアニミズム的信仰が生じてくるのです。彼らは自然に畏怖や謙虚な心を抱きながら、樹木や動物、昆虫を生きるために殺している、殺さざるをえない。そこから感じられる後ろめたさなどがアニミズムの発生してくる要因であり、自然への返済しようのない負債感を払拭することが、アニミズムに基づく祭儀や呪術の目的・機能であると考えられます。