昔話における創作の部分と、何らかの事実に基づくと思われる部分とは、どのように区別されるのでしょうか?明確な基準があるのでしょうか?

現在書かれ読まれている小説も含めて、完全なフィクションであっても、その時代に書かれたものは、必ずその時代の制約を受けます。未来を描いたSF小説をみると、19世紀の頃から、大砲の玉、ロケット型、飛行機型、船舶型、より自由な形状へとさまざまに変遷しています。これは人間の想像力自体が時代の産物だからであり、またあまりに突飛なものだと、それを読む同時代の人々に理解されないため、否応なく自分の生きている時代に惹きつけられてゆくのです。ゆえに、主に物語の展開する舞台設定は、多くその時代を反映するものが書き込まれています。現代に語り継がれている昔話、民間伝承の類は、大部分中世後期に起源を持ち、近世を通じて形式の整えられてきたものが多いのですが、同時代の記録と比較することによって、概ねいつの時代に形成されたものかがみえてきます。しかしとくに、『源氏物語』のような複雑な小説の場合には、単に時代を反映するだけでなく、それを先取りし乗り越えようとする表現も出てきます。文学では準拠/非準拠という言い方をしますが、そうした作品の固有性、個性がみえてくるのも、他の作品や記録、古文書との綿密な比較によってなのです。