『遠野物語』99話を読んで、儒教や東アジア化した大乗仏教のなかで、先祖を語る/供養する、あるいは死者と和解するということが、どう展開されていたのか気になった。とくに、そうした東アジアの諸宗教のなかで、災害のこと、災害における死者の問題は、いったいどのように表象されていたのだろうか。

東アジアにおいては、災害による死者を含む「非業の死者」をいかに扱うかが、長年にわたる課題のひとつでした。そもそも儒教の祖先祭祀においては、非業の死者は自族の宗廟においては祀らない決まりでしたが、そのことによって一定の祟りなす霊を生み出してしまうため、常に「例外」が考えられてきました。孔子の『論語』にも、『春秋左氏伝』などにも、そうした例外の実践例がみられます。その他仏教でも、例えば神仏習合の嚆矢をなす神身離脱の言説が、「前世に悪業を積んで悪身としての神に転生してしまったもの」=非業の死者を救済する方法として開始されています。六朝期の言説を比較してみると、そうした仏法に救済を求める神は、民衆の信仰を集め国家から「淫祠邪教」のレッテルを貼られた祠廟信仰の神であったり、疫病や洪水をもたらすと考えられた道教における鬼神であったりしますが、いずれも天寿を全うできなかった、あるいはよい死に方をしなかった死者のなれの果てであることが確認できます。