『遠野物語』99話では、妻が姿を消す場所が「山」となっています。授業では海を死者の世界、陸を生者の世界とするお話がありましたが、ならば妻が陸地である「山」で姿を消すのは、何か意味があるのでしょうか。

山は、古来から死者の帰る空間とされた地域です。日本列島は地域によって相互にずいぶん異なる、変化のある地形をしていますが、概ね神や死者の住む他界というものは、人々の暮らす日常的空間の外側、通常はその奥地まで足を踏み入れることのない場所に設定されます。海辺ならば海の彼方、海上や海中、平地ならば山中といった類ですね。『万葉集』巻3―466の大伴家持による挽歌には、「うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの 山道を指して 入日なす 隠りにしかば」(この世のかりそめの命であるから、露や霜がはかなく消えてしまうように、妻は山道の方へ、夕日が沈むように隠れ入ってしまった)とありますし、有名な『古事記』上巻の黄泉国神話には、古墳の玄室だけでなく、山中の古墳群への真っ暗な参道などが反映されているのではないか、ともいわれています。99話の舞台になっている田の浜は、写真でみせたように浜のすぐ側まで山が迫った地形をしていますので、本当に「山」が死者の国を象徴しているのかどうか分かりませんが、柳田の祖霊論では、やはり山が死者の隠る、そして祖霊へと浄化されてゆく重要な場所と考えられています。