日本では、確かに「死」がタブーのようになっていると感じます。世間、メディアなどでも、死を扱う際には、どこか一定の気遣いをしているようです。日本人だけが死に対してここまでタブー視しているのか、欧米などとは死に対する意識が異なるのでしょうか。

確かに、今回の東日本大震災においても、例えば欧米と日本の「死に対する扱い」の違いは、明確になったように思われます。例えば報道ですが、日本のテレビなどでは、津波が押し寄せる様子や被害情況を克明に放送していましたが、人々が流されてゆく様子やご遺体の映像などは注意深く排除されていました。2011年の3〜4月にかけて、そうした編集作業に携わっていたテレビマンたちの間に、身心の調子を悪くする人たちがたくさん出たほどです。それに対して、欧米では「生のまま」の映像が流れましたので、アメリカやヨーロッパに滞在していた日本人など、東日本は潰滅してしまったのではないかとの危機感を抱いたと聴きました。日本では、どうも、死を隠そうとする傾向が強いようですね。それは古代・中世の、ケガレの感覚に由来しているのかもしれませんが、怖ろしいもの・危険なもの・恥ずかしいものを隠蔽し、正対しようとしない心的傾向は明確にみてとれます。講義でもお話ししたとおり、死のタブー化は世界各地でみられますが、日本におけるその神経質さには独特のものがあります。