たくさんの土偶が出てきましたが、これは余りある時間のなかで行ったものですか。それとも、土偶造り自体が祈りのひとつだったのでしょうか。

確かに、宗教活動や芸術活動は、余暇の存在が前提になって発生します。縄文時代の場合、定住によって余暇の増えたことがそもそもの原因であり、同時に、移動しないことによって生じる種々のデメリット(定住地域に生じた災害、共同体内部や相互の軋轢、変化の欠如から生じる心理的停滞など)を取り除くため、宗教的活動が顕著になったと推測されています。また、土偶が授業でお話ししたような土偶祭式や、あるいは護符やイコンのような機能を有していたとすれば、その作成も祭式の一過程であったと理解すべきでしょう。事実土偶祭式論では、女性自身がその生命エネルギーを注ぎ込みつつ、徐々に妊娠した姿へ変化させつつ造型してゆくことが想定されています。