屈葬が再生を祈願したものとすると、縄文人は、胎児が母体内で丸くなっていることを知っていたんでしょうか? / 高校のとき、屈葬された遺体には石を抱いたものがあると聞きました。私は死者が動き出すのを防ぐ重しかと思いましたが、再生を願うとするとどんな意味があるのでしょうか?

当時の出産は病院など「目に見えないところ」で行われたわけではないので、縄文人は胎児の情況を熟知していたと思われます。ときには、充分に形をなしていない状態で生まれてくる胎児を目にすることもあったでしょう。授業でお話ししたように、屈葬を「縄文の喪葬法」と規定するのは現実的ではないのですが、抱石葬の石などは、やはり生命エネルギーを宿したものとみることもできるのではないでしょうか。縄文時代の聖遺物は、土偶などの土製品のほか、生殖器を模したオハゼ形やホト形など、ほとんどが石で造型されています。生命の象徴であるストーンサークルの、日時計遺構なども石製です。抱石については、死者を邪なものから守る施朱と同じような効果や、やはり再生を期待する祈りが込められていたのかもしれません。