浦島太郎の話を聞いていると、やはり自分たちの住んでいるところとは違う場所が、あの世や神のいる場という認識になりやすいのだなと思いました。同じ海や山であっても、地域によってその認識には差が生まれるのでしょうか。また、『日本書紀』の浦島太郎の話に、海に潜って蓬莱山に至るとなっていますが、海に入って山に至るとはどういうことでしょうか。 / 『日本書紀』の浦嶋子の話では、仙女=亀とされていましたが、占いに使われるのも亀であったりと、当時亀は何か神聖なものとみられていたのでしょうか。

そうですね。神の領域や死者の領域は、概ね自分たちが日常を営んでいる生活圏の外側、海や山などに設定されてゆきます。また、その生活のなかで海や山がどのように捉えられているか、具体的には生業の場としてどのように使われているかによって、神聖化のあり方や程度に差異の生じることは充分考えられます。例えば、ある山の麓で稲作を営んでいる村落と、その山中に出入りして杣(林業)の仕事をしている人々とでは、同じように山を神聖な領域とみていても、住まう神の性質やその役割などには異なる意識を持っていたはずです。こうした差異が大きくなると、例えば国家の神社観と在地の神社観の相違などが現れてくるわけで、8〜9世紀の国史や官符などには、神社において清浄な殿舎の建設を求める国家側に対し、在地の側では同地をほぼ自然そのままの林叢のような状態に保っていた(放置していた)ことの分かる記事が出てきます。ところで海中の蓬莱山については、海上に山の出ている状態でも「海中」との表現をしますので、海上であるとも、文字どおり海中であるとも考えられます。海中といっても、古代的感覚では、海のなかにも地上と同じ世界が開けているとの発想があったので、山が聳えていたとしてもおかしくはないのです。それから亀についてですが、中国では新石器時代から亀を天意もしくは神意の表れるものとみる発想があったようで、玉で作った亀甲を模した占具や、殷代には熱卜の材料として用いられてゆきました。また、長生の象徴でもあることから、不老不死の神仙に相応しい生き物とされたのでしょう。