神話を全く教えずに、「原始人」からの歴史教育を始めるのも物語性がなく面白みがありません。将門くらいパンチの効いたストーリーも多くあるので、勿体ありません。話者・聴者とも実際のことだと思わないはずなのに、なぜそこまで警戒されるのでしょうか。

やはり、イデオロギー的な問題が大きいからでしょうね。ご存知のように、日本で「神話」というと『日本書紀』や『古事記』のそれを指しますが、これらは王権・国家によって編成された段階の神話ですから、扱いに注意が必要です。近代日本のように、国家の正当性・正統性を示すために使用されてしまうと、歴史修正主義に陥りかねません。倫理・道徳の起源として扱うのにも、同様の問題があります。神話を歴史教育で採り上げるのなら、国家がそれにどのような役割を負わせようとしたのか、国家神話に編成されない「生きた神話」を復原することが可能なのか、そのあたりを視野に収めるべきでしょうね。