縄文時代の終わりに祖先信仰が起こり始め、これを人間を神とする風潮と説明されていましたが、霊魂としての意識がなぜ神として信仰することといえるのか、その繋がりを疑問に思いました。

授業でもお話ししましたが、祖先信仰とは、もはや霊魂といった存在を超越したものです。死者の霊魂といった意識は、具体的な人骨が伴っていた環状墓域の段階では持続していたでしょうが、それでも集落内の諸族を結集する神的な機能を持っていた。それが骨を伴わないストーンサークル、そして環状祭祀場に至るともはや死者の霊魂といった情況から隔絶した存在になると考えられます。カミ観念の定義については、きちんと話をしなければなりませんが、キリスト教イスラム教の唯一神最高神のような、例えば天地を創造するような存在のみが神と呼ばれるわけではありません。民族社会や前近代社会で一般的な神とは、それこそ森羅万象に宿る精霊の強力なもの、祖霊や祖先神がほとんどです。