弥生時代の戦争というのは、今と同様に首長が殺されたら負けるのか、それとも皆殺しが基本だったのか、勝ち負けの基準が分かりません。

殲滅戦は、攻める側にも被害やリスクが極めて高いうえに、敗れた集団を傘下におさめ、その構成員を奴隷化したり、水田その他の施設を接収したりと云った、自集団をより強化してゆくというメリットがほとんどなくなってしまうので、採用されなかったと思われます。戦争の被害者と思われる人骨は多く集落内や周辺から見つかっているので、戦争は集落間の軋轢が高まったとき、どちらかの集落(恐らくは勢力の強い方)がもう一方の集落を攻撃する形で展開し、実被害も含めてその圧力に屈服した方が敗北となったと推測されます。