フロイトの「死の欲動」について、どのようなものか教えてください。

初期のフロイトは、無意識の欲動を性に基づくもの=エロスとのみ考えていましたが、後期にはその逆のベクトル、死の欲動タナトスも存在するとの結論に至ります。第一次世界大戦から帰還した兵士たちを治療していたフロイトは、彼らの語る悪夢から、夢を無意識の欲望充足の手段とみていたこれまでの自説を吟味しつつ、例えば自らの死に怯えるような悪夢も何らかの欲望充足の形式であって、それを〈死の欲動〉と名づけるのです。人間はみな究極的なゴールである死に向かって進んでおり、それへと至る欲動を持っている。当初本質的なものとみていた〈生の欲動〉は、それに対するブレーキに過ぎないのかもしれない。フロイトはまた、自身の幼い孫が、母親の不在時に飽きずに行っている〈糸巻き遊び〉からも示唆を得ます。糸巻き遊びとは、ベッドに腰掛けた孫が糸巻きをその向こう側に投げてみえなくし、糸を巻いて手許に戻す、またそれを放擲する一連の動作を指していますが、孫は糸巻きを投げるときに「Fort(いないいない)」、引き戻すときに「Da(いた)」との言葉を発します。彼はこれを、孫が母親を糸巻きに見立てて象徴的に殺害し、また復活させることを繰り返し、母の不在=死を恒常的に経験し、死に対する耐性を構築しているものと解釈します。自らの安心立命を課題としている点でこの遊びは生の欲動に属しますが、それを実現するためには愛する対象の殺害が必要であり、象徴的なものとはいえそうした自身の死に等しい情況を作り出そうとすることは、死の欲動の発現以外の何ものでもない。エロスとタナトスとは二項対立的な関係にありますが、一方で相互に分かちがたく結びついているといえるでしょう。