具体的に、邪馬台国の勢力はどの程度の範囲に及んでいたのでしょうか。西日本全体ですか。 / 倭国内の混乱のなかから卑弥呼が女王に立ったとされていますが、どのような理由、経緯があったのでしょうか。

文献からでは、分立していた倭の諸小国が卑弥呼を共立して王とし、卑弥呼と名づけたとあるだけなので、その経緯や勢力範囲は明確には分かりません。しかし、この共立王→親魏倭王の誕生を青銅器消滅→古墳祭祀の現象と結びつけて考えるなら、かつて青銅器祭祀が盛んに行われた東海以西の地域が該当するものとみられるでしょう。しかしそれはあくまで邪馬台国を支える政治的連合の範囲であって、例えば卑弥呼が死ねば瓦解し混乱する結びつきでしかなかったことは、注意しておかなくてはならなりません。また、古墳祭祀との関連で、倭人伝に卑弥呼が「鬼道に事へて能く衆を惑はす」とある点が目を引きます。「鬼道」は一般にはシャーマニズムを意味するとされますが、もともと「鬼」とは死者の霊のことなので、そのまま祖先祭祀を指すと考えることもできます。さらに、纒向遺跡からは、中国の神仙思想において聖なる果実とされた桃の核が大量に発見されています。三角縁神獣鏡前方後円墳の世界観に、神仙思想が大きな影響を及ぼしていることはいうまでもありません。卑弥呼が共立されたのは、最新の中国思想に基づく宗教的知識・技術と、それをもって政治を行う能力であったのではないでしょうか。