卑弥呼が魏と外交関係を結ぶメリットはどこにあったのでしょうか。魏の権威は、それほど倭国に知れ渡っていたのでしょうか。また、魏が倭を重視する意味とは、具体的にどのようなことでしょうか。地理的に近い韓の方が重要ではありませんか。

授業でお話ししたように、倭国大乱の段階から、何人かの小国の指導者が中国へ使者を派遣し、交流を持っていたと考えられます。彼らが朝鮮半島の諸国や中国王朝と交流を持とうとしたのは、鉄をはじめとする金属器やその原料、その他の宝物、知識や技術を得るためであり、また同盟諸国・服属諸国へ配付する威信財の安定的輸入ルートを確保するためです。威信財によるネットワーク、政治的関係が強固になればなるほど、中国王朝などはその起源として強く意識されるようになっていったと想像されます。倭の諸国にとっては、個別の王朝に対する信頼関係というより、まずは「中国王朝」という総体的な把握の仕方であったでしょう。しかし、三国時代のように王朝が林立する情況にあっては、どこと交流関係を結ぶかはそれなりの政治的調査、判断が要請されたと思われます。卑弥呼朝鮮半島、あるいは燕国より種々の情報を得ていたはずですが、例えば公孫淵支配下朝鮮半島で魏に対する正確な情報が得られたかどうかは考えにくいので、やはり燕の滅亡を受けて魏と交流を持つようになったとの解釈が妥当でしょう。卑弥呼が魏から下賜された銅鏡が三角縁神獣鏡だとすると、その分布状況からいって、邪馬台国は最も安定的で他のそれを圧倒する威信財ルートを獲得したことになり、文字どおり統一王権の基礎を構築することができたといえるでしょう。なお、魏の方からすると、西の辺国の大月氏国、東の辺国の邪馬台国朝貢国とすることで、中央と周縁との間にある国々を挟撃体制(実際に派兵することができなくとも、政治的に)に置くことができます。東については東南の呉の問題もありましたので、邪馬台国を自分の側に惹きつけておくことは極めて重要であったと思われます。