現代の天皇家の先祖は、ヤマト地域の豪族のリーダーだったのですか。

これも後に詳しく扱いますが、当初のヤマト王権は、近畿の幾つかの政治グループが競合して王を輩出していたと考えられています。しかし、これは政治的抗争や場合によっては武力衝突にも発展したため、次第に一系統のグループに王家が限定されてゆく傾向が強くなり、主に継体大王以降は大きな変動はなくなってゆきます。継体は近江・北陸方面から進出してきたらしく、その意味では厳密に「ヤマトの豪族」とはいえませんが、最終的にヤマトヘ進出してくるのは確かですので、「王家自体はヤマトにあるべき」との考えが、六世紀頃には成立していたと考えられます。