古墳は近畿に集中して造営されていますが、あのように巨大なものが6〜7世紀後半にまで作られていたとすると、場所などには困らなかったのでしょうか。 / 現在残っていない古墳は、どのようにして消滅したのでしょうか。

確かに、古墳を造営するためには適切な場所が選ばれていましたので、狭い地域に密集する場合も出てきました。いわゆる古墳群と呼ばれるものです。それらのなかには、墳丘の削平された例もあり、現在の首長にとって必要のなくなった古墳は、破壊されることもあったことが知られます。古代国家の時代になると、宮城その他を大規模に建設すべく、その範囲に入った古墳を削平する事態も生じました。その痕跡は考古学的にも確認できますし、『日本書紀』や『続日本紀』などには、そうした場合の対処法、すなわち遺体を別の場所へ埋葬する方法などが記録されています。近代になると、開発の展開のなかで多くの古墳が破壊され、削平される事態が生じています。