古墳は中国の影響を受けているとのことでしたが、中国にもたくさん存在するのでしょうか。

儒教は、社会の安定化のため階層秩序を重んじますので、その具現化としての厚葬は、支配階層を中心に広がっていました。皇帝をはじめ、王族や貴族たちは壮大な陵墓を築き、そのなかには豪華で豊富な副葬品がみられます。代表的なのは陝西省驪山陵、いわゆる秦始皇帝陵ですが、山陵自体の規模は高さ115メートル・2000メートル四方にも及び、周囲に600余りの副葬坑、100万平方メートルの領域に多くの関連建築物跡を検出しているほどの大規模さです。『史記』には、当時の技術の粋を集めた巨大な地下空間が造営されたと書かれていますが、それについては未だ明らかになっていません。ほかにも、中山靖王劉勝の満城1号漢墓(河北省)は、墓道から墓穴奥壁までの長さ51.7メートルにもなる横穴墓で、青銅器だけでも417点にもなる厖大な副葬品のほか、実物の馬車が2号墓と合わせて10両収められ、馬は29頭が殉葬されていました。ただし、庶民の墓は概ね薄葬で、朝鮮半島や日本列島に影響を与えたのは、士大夫層以上の墓制であったといえるでしょう。