前方後円墳は子宮と同じ形であるとの考えについてですが、古墳時代から、女性の身体を切り開いて形を知っていたということでしょうか。

解剖学的知識があったかどうか、すなわち情報として伝わっていたかどうかは分かりませんが、胎児の入っている袋とみなされていたことは確かでしょう。講義でお話ししたのは、前方後円墳自体が子宮とみなされていたということではなく、壺中天という中国の神仙思想における概念が、子宮をも暗示するものであったということです。古墳自体が子宮に関する正確な情報に基づいていたかが問題なのではなく、そこに埋葬される人間に母胎回帰のイメージが重ね合わされた点が重要なのです。