古墳は、日常的にはどのような存在であったと考えられますか。例えば、ふだん立入などはできたのでしょうか。

古墳の日常的なありようについては、あまりよく分かっていません。講義では詳しく扱っていませんが、前期の前方後円墳などは三段階の墳丘として整序され、前面に葺き石の施された極めて人工的な景観を持っていました。また、前面に多様な木製品を立て並べた、まさに人工の山林のような古墳も存在します。周辺から特別視された場所であったことは確かであり、地域王権の政治的・宗教的象徴であったとすれば、例えば一般庶民などの容易に立ち入れる空間ではなかったと思われます。ただし、『日本書紀雄略天皇九年七月条には、渡来系氏族の田辺史伯孫が、夜中に誉田陵の前を通りかかった際にみごとな赤馬に乗った人物と会い、お互いの乗馬を交換したが、朝起きてみるとそれは「土馬」(埴輪の馬)に変わっており、自分の馬は誉田陵の土馬の間に立っていたとの話が残っています。古墳周辺が特別な空間として認識されていたことが分かりますが、また大王の陵墓といえど、すべてが厳重に警護され接触することさえできない、という状態ではなかったことも判明します。ちなみに律令国家では、大王陵は調査・認定作業の末に宮内省が管理・保護するものとなりましたが、史書などによると周辺住民が家畜を放し飼いにしたり、樹木を伐採するなどの行為が絶えなかったようです。