古墳時代に至って、次第に人間中心主義的な考え方が強くなってゆくとのことでしたが、古墳寒冷期などで自然の厳しさを痛感し、多少なりとも考えを変えるといったことはなかったのでしょうか。

今後の講義で扱ってゆきますが、自然環境に対する祭祀の重要性が、4世紀頃から復活してきます。典型的なものはときどき授業でも言及している湧水点祭祀、導水祭祀と呼ばれる水辺の祭祀で、地域の耕地を灌漑する水源を共同体首長が祭祀するものです。水源地に祭場を設置して直接祀ったり、あるいは水を首長の居館まで導引し、濾過装置を使って浄化したうえで祭儀を行う事例もあります。これらは飛鳥の宮廷にも引き継がれ、その後古代国家の祭祀体系に組み込まれてゆきますが、地域地域では祭場となった水源地が神社化してゆく傾向がみられます。のちに徳川四天王のひとりとなる井伊氏の拠点、井伊谷には、天白磐座遺跡という4世紀より続く水の祭祀遺跡がありますが、同地には以降渭伊神社が創祀され、鎮座地を移動しつつも現在に至るまで信仰されています。