志怪小説が具体的にどのような話を収めているのか、気になりました。フィクションと実話の度合いが知りたいです。 / 「中国文化史」という講義では、志怪小説はフィクションであるとの説明を受けました。どちらの見解が通説的なのでしょうか。

フィクションという概念自体が非常にデリケートなものなので、これを安易に用いるのは危険だと思います。この講義の前半でソシュールなどの話をしましたが、人間の認識システムを前提にすれば、我々が把握しうるあらゆるものごとがフィクションになってしまうのですから。古小説をフィクションではないといったのは、神話や伝説がフィクションではないのと同じ意味です。それらは近代小説のように、作者が文脈や内容を考えて構築した物語ではありません。例えば『捜神記』は、東晋の干宝が4世紀後半に編集した代表的な志怪小説集ですが、『隋書』経籍志までは史部すなわち史書の項目に分類されており、公的性格も持っていました。収録されている物語は、官僚階層の語りの場(官僚生活に関わる世間話・官僚たちの祖先をめぐる物語・方術者に関わる話・民衆の生活についての伝聞・少数民族についての伝聞)、士大夫層の家の伝承(一族歴代の見聞・祖先に関する神話)、民衆たちの説話(世間話や言い伝え・民間祠廟をめぐる物語・民間芸能に由来する物語)から取材されており、口承・書承の双方に由来する民族(俗)誌としての性格を見出せます。とくに、少数民族に関する伝聞が含まれることはその点からすると重要で、江南へ都を遷した漢民族が、中原とは異質な同地の習俗・伝承に関心を持っていたことがうかがえます。全体として、貴族の清談文化(哲学的議論を娯楽とする文化)を牽制しつつ、怪異の背景にある歴史の原理を探求しようとしたもので、風俗のありようそのものへの関心も強く、柳田国男の『遠野物語』とよく似た性格も持っています。なお、撰者の干宝は歴とした史官でもあり、(佐)著作郎として『晋紀』などの国史も編纂していて、その内容は『晋書』干宝伝、劉知幾『史通』でも賞賛されています。これだけでも、志怪小説をフィクションと言い切ってしまうことがどれほど危険か分かるでしょう。