中澤先生の特講でケガレを扱った際に、六畜を殺すことは穢れの対象になるといったことを聞きました。中国での供犠は牛・羊・豚が主要とのことでしたが、日本には影響しなかったのでしょうか。

例えば、中国王朝で行われた孔子を祀る祭儀である釈奠は、8世紀を通じて日本での受容・整備が進みましたが、もともとはやはり三牲=牛・羊・豚を供えるものでした。しかしまず、この動物犠牲のそれぞれが、牧畜を行わない日本では一般的ではない。そこで、大鹿・子鹿・豕の狩猟動物へ変更されたのです。これらはかつて、日本古代の各地の神社で神への供物として捧げられていたと考えられ、その意味で不自然ではない改変であったのでしょう。しかし、仏教の殺生禁断思想とケガレ観が強固になってゆくなか、9〜10世紀には、薗韓神社、春日大社大原野神社などの祭祀の前、もしくは祭日の当日に釈奠が行われる場合は、供物に獣肉は使わず、魚で代用するようにさらなる変更が加えられたのです。殺生・肉食とケガレとの関係は、日本列島でも時代ごとに変化してゆくので注意が必要ですが、そのタブーの最盛期には、中国文化との間に種々の軋轢も生じたようです。