古代の神聖な芸能が娯楽になってしまうのは、どのようなプロセスを経た結果なのだろうか。 / 網野善彦氏の著作から、神に仕えた人々は神の権威の低下に従って卑賤視された、と学びました。だとしたら、門付芸人が卑賤視され、神職がそれを免れた理由が分かりません。彼らが神社という「土地」に基づいた権威だからでしょうか?

いわゆる神の零落の問題は、柳田にしろ、ハイネの『流刑の神々』などに基づいて構想されたものです。古代から現代にかけて、果たして神の零落、世俗化の問題として、宗教史を単線的に語ることができるかは、現在では疑問視されています(すなわち、地域による多様性の問題、個々の時代の信仰のありようへの追究が捨象されているからです)。しかし、折口の構想した来訪神を憑依させるホカヒビトは、漂泊者であり、外部の者であるがゆえに、やはり両義性を担った存在です。彼らがどのように扱われたかは、来訪神が歓待もしくは迫害される説話、伝承のなかに見出すことができます。村や一族を滅ぼしかねない強力なエネルギーを持っているがゆえに、忌避もされうる存在であったといえるでしょう。とくに、定住を重視する稲作イデオロギーが強固になってゆくなかで、彼らの地位が大きく動揺したことは確かです。異質さは崇拝の根拠にもなりえますが、それが社会の秩序をも崩壊させうるということになると、排除や卑賤視を生じる結果となります。一方の神社は、逆に権力を補完する装置であったために、卑賤視を免れたといえるでしょう。なお娯楽化については、上記の流れを前提にしつつ、社会的分業の進行を考慮に入れなければなりません。中世を通じて芸能や芸能集団の細分化が進み、芸能が、宗教的ニュアンス(観客への祝福など)を残しつつも娯楽のみを追求する形、必ずしも神仏の介入を伴わないものへ変化してゆきます。広義の世俗化が存在したことは否定できませんが、芸能が宗教的なものとその希薄なものへ分化し、後者が発展してゆくという情況も見逃せないでしょう。