神人共食の問題は、キリスト教にも深く関わっている気がします。神と食事を共にすることには、どのような意味があるのでしょうか。

黄泉国神話のヨモツヘグイにも似たところがありますが、同じものを食べることによって、その一体化を図る意味があります。よく共同体の結束を表現する言葉として、「同じ釜の飯を食べる」という慣用句が用いられることがあります。古代では何らかの目的で徒党を組むとき、天地四方の神に礼拝して「共に塩水を歃る」という儀礼が出てきますが、これは中世の起請の作法「一味神水」に結びついてゆきます。何らかの誓約を認めた起請文を焼き、その灰を水に溶かして、一揆の構成メンバーで飲み干すというものです。いずれも、同じ意味を持つものでしょう。