横穴式石室が神話の生成に影響を与えたとのことですが、埴輪など、古墳の他の様式が神話と結びついていることはないのですか。

上記でも少し触れましたが、『日本書紀垂仁天皇32年7月甲己卯条には、皇后日葉酢媛命の埋葬に際し、凶礼を統括した土師氏の祖である野見宿禰が殉葬の風習を停止、代わりに土で人や馬、もろもろの形を作って埋めることを進言したとの記事があります。これは土師氏の氏族伝承、始祖伝承であると思われますが、埴輪の機能自体考古学的に解明されているものとは違っていますので、やはりひとつの神話であるといえるでしょう。そもそも、凶礼の専門家である土師氏自体には正確な情報が伝わっていたのではないかと思われますが、自氏の始祖を顕彰するために、あえてこのような内容を創作したのでしょうか。いずれにしろこの考え方が受容されたのは、7〜8世紀の段階で、すでに埴輪の正確な情報が失われ、殉葬の代用とみる解釈にも違和感が示されなかったことが分かります。