死者の世界には馬や舟でしか行けないとの話があったが、『古事記』でイザナギは徒歩で黄泉国との往来をしています。これは矛盾ではないでしょうか。

授業でもお話ししましたが、黄泉国神話が古墳時代の他界観すべてをカバーしているわけではありません。あくまでその一部を反映しているかどうかということですので、相違があっても矛盾とはなりません。そこは多様性、ということです。なお黄泉国神話について一言しておけば、主人公は普通の人間ではなく、やはり神である点がポイントです。また、このような冥界訪問譚は、近年の宗教学や人類学の成果により、多く成巫譚(すなわち、シャーマンが種々の困難を克服しシャーマンに昇華してゆくライフ・ヒストリー)が元型なのではないかとする説があります。シャーマンは他の神霊や霊魂を憑依させる能力、自分の霊魂を他界へ飛ばす能力が基本的なものですが、例えば現実の世界へ迫害を受けて黄泉国へ逃げ、その地で試練を克服して新たなステージに立ち、地上へ復帰して支配者となるオオクニヌシの神話などは、シャーマンの力の発現と成巫を描いた典型的な物語であるといわれています。黄泉国神話も同じようなものとすれば、黄泉国へ行ったのは身体を持ったイザナギではなく、あくまでその霊魂であったと考えることもできるでしょう。