高誘注型の物語と『呂氏春秋』の物語を比べてみると、後者の伊尹の母親は逃げるときに近隣に避難を呼びかけています。前者の老婆にもその時間はあったと思うのですが、記述には見受けられませんでした。誰かに話しても聞き入れられなかったということでしょうか?

この質問であらためて気がつきましたが、前回お話しした危険感受性・避難瞬発力の問題からいえば、「近隣に避難を呼びかける」要素が付加されているものの方が、成立が新しいのではないかと思います。とにかく逃げなければならない、そうでなければ助からなかったという危機感・緊張感が薄れ、日常的な倫理観が強くなってきているためです。この点も、東日本大震災を(間接的にでも)経験しなければ分からなかったことでしょう。