なぜ「見るなの禁」は、世界各地の神話に確認されるのでしょうか(伝播なのでしょうか、同時多発的なものでしょうか)。また、なぜ「聴く」ではなく「見る」なのでしょう。 / 「見るなの禁」を破ると、なぜ人間以外のものに変身してしまうのでしょうか(神話や伝承、宗教において、変身は転生などとともに重要なテーマですね)。  / 振り返ったことで変身するには桑や塩などの聖なるものですが、なぜタブーを侵犯したのに聖性が付与されるのでしょうか。

以前に論文で書いたことがありますが、神話論の回でもお話ししたとおり、〈見る〉ことは世界を分節し秩序化することを意味します。量子力学ではありませんが、〈見る〉ことを通して、それまでマージナルな情況にあることを許されていた曖昧なものが、どちらかの世界へ区別され、振り分けられてしまうのです。例えば、生者/死者の世界の境界にあったものは完全に死者の世界へ、動物/人間の境界にあったものは動物の世界へ追いやられます。これらは世界の秩序化を物語る神話で、それゆえに伝播では説明しきれない普遍性を持ちうるのでしょう。ちなみに講義で扱った災害伝承の場合の〈見る〉行為は、避難瞬発力の持続を警告していると取れるので、生存/死を分けるものです。人間の姿でいられなくなるのは死のメタファーであり、しかしそれが神の告知の真実性を立証するがゆえに聖別されるのでしょう。